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ウタラ炭鉱調査 2017年01月12日 歴史 トラックバック:0コメント:0

こんにちわ~本日の西表島は晴れていい天気です。・・・昼過ぎまでは(笑)

昼からは少し雨がぱらついております^^

さて本日は台湾からのスタッフさんと一緒にウタラ炭鉱の調査?下見?に行ってまいりました~

ドキュメンタリーの映画を作っているらしく、台湾から炭鉱などに詳しい先生が来られて、

僕も勉強がてら一緒についていきました。

今はジャングルではありますが、少し入ると人口物が顔を覗かせてくれます^^

撮影チームは主に人工物を地図と照らし合わせながら撮影してました。

先生は一人で坑口まで見つけてきて、レールも残っていたよ~とかそんな話をしてました^^

写真も見せてくださいました^^地形を見るとなんとなくわかるようで僕が少し話しただけで

おそらくここは昔の道で、こっちが新しく人工的に作られた道みたいだ多分こことここはつながっていた

とかいろんな興味深い話を聞けました^^

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また、今度来るそうなのでこの時も一緒に行けたらいいです^^

ホント今日はいつもよりも得るものが多く勉強になった日でした^^

                                                下山

舟浮村 2010年09月05日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は晴れ・気温30℃

ようやく晴れた。気持ちがいい。

西表島の舟浮集落は白浜から船で15分の所にある。白浜から道路が無いので船を使うしかないのだ。
近いのだが白浜から集落は見えない。目の前に視界を遮る内離島がありそれを迂回していかなければならない。
舟浮村にこの内離島を見て歌った唄がある。「石ぬ屏風節」である。島を屏風に見立てている。

舟浮村は天然の良港を前にし、北側に建つ内離島は北風を防ぐ屏風の様である。
お陰で舟浮村は暮らし良い村である。と唄っている。

まるまぼんさん節 2010年08月22日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は晴れ・気温33℃

以前にも紹介した祖納集落にある小さな湾に浮かぶ小島「まるまぼんさん」のお話し。
今から300年ほど前に作られた唄で「まるまぼんさん節」と言うのがある。
長老達が夕涼みをしながら、湾に浮かぶ小島やその周辺の風景を眺めて歌った歌である。
※夕暮れ時に湾を眺めていると、白鷺の群れが小島をねぐらにやって来るが、泊まって休む
 場所が島のどこであるかによって明日の風向きが判るのである。また畑仕事を終えた若者達が舟に乗り
 掛け声勇ましく港に戻ってくる様子などを描写している。

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まるまぼんさん

浦内橋 2010年08月01日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は晴れ・気温33℃

浦内川遊覧船乗り場から30mほど離れた所に、浦内橋が架かっている。全長200mほどの橋
である。1979年完成し、白浜・祖納・干立集落と上原地区が始めて結ばれた瞬間である。
橋の架かる以前は、町営の渡し舟があり、向こう岸の人は釣鐘を叩いて合図をし、迎えにきてもらう。
竿一本で舟を操るので大潮や大雨によって流れが速くなったりするとで大変である。
私も何度か渡してもらった事があるが、子どもだけで渡ると大変不機嫌で「もたもたするな」とよく怒られた
ものである。今考えてみるとおじいの気持ちがわからないでもない。仕事とはいえ小さな子どもが大の大人を
呼びつけて乗る事になるからである。
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31年前に建築された橋とは思えない程立派である。

反響 2010年07月31日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は晴れ・気温32℃

先日、稲葉村の聞き書き本の話をしましたが、その中でお話しをしていただいた皆様に
本をお送りいたしました。
その反響がとても良くて次々にお礼の電話を頂戴しました。
話し言葉で書いてあるので、「恥ずかしい、もう少しきれいな言葉で話せば良かった」
また、「この書き方で皆の顔が浮かぶ様で読んでいて面白い」「夫婦で読みながら大笑いしました」
などなど、笑って読める記念誌は他には無いのではと思う。
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稲葉村跡に今も残る農機具の残骸






西表島・稲葉村の聞き書き 2010年07月21日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は晴れ時々雨・気温32℃

今日は嬉しい出来事がありました。
浦内川上流にあった「稲葉村」の聞き書き本が出来上がりました。
廃村になった稲葉村の記憶を本に残したいと言う思いから始めたヒヤリング。
当時住んでいた方々を訪ねて稲葉村の話を聞きに全国へ足を運んだ。
一時期、全く進展しない時期もあったが、ようやく7年ほどかけてようやく本に。
稲葉村に住んでいた方達を始め、西表島の学校など教育機関へ贈呈したいと思っています。
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浦内川観光やキッチンinabaで読めます。

宇多良炭鉱あと 2010年07月17日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は晴れ・気温33℃

朝9時ごろ上原小学校の子供達が、宇多良炭鉱跡見学に行くというので同行させてもらった。
ガイド役は炭鉱で幼い頃住んでいた永田さんである。
これまで聞いた事が無かった話などいろいろ聞けました。また建物跡などの記憶もしっかりしていて
新しい発見があり、とてもよかった。当時の産業技術の先端であったであろうと思われる施設などが
この山奥にあったということがなかなか結びつかないでいたが、今回のお話で実感がわいた。
また、この事を多くの人に伝えていければと思います。
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実際に体験した事や見聞きした事を思い出しながら語る永田さん。

魚釣り 2010年07月14日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は晴れ・気温33℃
台風2号が発生しているらしいが八重山へは近づかない模様。
少しだけ近づいて雨を降らせて欲しい。
浦内川の上流にあった稲葉村の話。
稲刈りを終え川へ下り潮が引いてできた干潟で釣り餌(シャコエビ)をスコップで掘り釣りの準備をする。
夕暮れに潮があげ始める頃、舟を出し魚の通るポイントへ舟を泊め魚が河口からあがってくるのを待つ。
家族分の竹ざおを親父は用意してくれいて、我々はそれを舟の真下におろすだけである。
暫らくすると一人の竿がしなると次々にみんなの竿もしなりだす。魚の群れが通ったのだ。
舟底は瞬く間に魚でいっぱいになる。魚の鳴き声がすごい「グゥッグゥッ」と鳴く。グチの群れである。
(ホシミゾイサキ)70枚ほどであったろうか。こしらえが大変なので早々に戻り、刺身や唐揚、魚汁として
食卓にのぼる。
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大潮でマングローブの根は小魚の隠れ処
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遊覧船の下に群れる魚(グチ)

萬骨碑除幕式 2010年06月21日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は晴れ・気温31℃
昨日浦内川の支流宇多良川奥にある、宇多良炭鉱跡への遊歩道の開通式とそこに建てられた
萬骨碑の除幕式が行なわれた。産業遺産に指定されたこの炭鉱は昭和10年代に栄華を極め
多くの抗夫が日本各地から集められていた。当時は近代的な炭鉱として注目を集める一面、抗夫
からは圧制炭鉱として恐れられた。過酷な労働条件の下命を落とす者も多かったという。そして
弔われる事なく埋葬されたという。そんな方々の御霊を供養すべく「萬骨碑」の建設に向け期成会
を設立し、その一員に加えさせていただき、弊社はその石碑とそれに関わる工事費等を寄贈させて
いただいた。関わらせていただいた三木氏には心から感謝するとともに、安堵感を覚えるものです。
今後はこの歴史を正しく伝えていくお手伝いができればと思っております。
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是非皆様も一度尋ねて見られてはいかがでしょうか。

稲刈り 2010年06月06日 歴史 トラックバック:0コメント:0

西表島は曇り・気温28℃

浦内川上流にあった稲葉村の話。
稲葉村は読んで字のごとく稲作を中心に暮らしを立てていた。
子供の頃、夏休みとなるといつも稲刈りの手伝いをさせられた。その頃は機械が無く手刈りであった。
午前中は稲刈、午後からは束ねて積み上げる作業だ。束ねた稲はソリのような田舟を水牛に引かせ運ぶ。
この役目は子供である僕らの仕事だ。気の荒い水牛だとなかなか僕らの言うとおりに動いてくれない。
親父が目に入る所にいれば比較的おとなしく働くのだが、いないときは横着になり、道草をする。
子供だと馬鹿にしているのだ。
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稲刈り今や座って運転するだけなのだ。
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