祖納港で修理中の1号。
一人ぼっちで寂しそうなので、昨夜行って、星と一緒に写真撮ってみました。

約20分間の撮影です。
Jun
綺麗な星空を見ていたら、徐々に雲が広がってきて雷に。

そのうち土砂降りになりました。
Jun
昨日の夕方、久しぶりに見る綺麗な夕焼けの中に、絵に描いたような月と星が見えました。

星は金星。
今日の夕方は縦に並ぶようです。
見れるかな~
Jun

西表の風にレンズを向け、どれくらいが経つだろうか。
早朝、夕方には染め上げられる空色を見つめた。
早起きは三文の徳だ。
川の水音を見つめ、海の音を見つめた。
降りそそぐ星に、瞬くイカズチを見つめ
夜更かしをして三文得したこともあったっけ。
木々の臭いを見つめ
密林に霧のまとう静寂を見つめ
花弁にしずくの散らばる花色を見つめ
野生動物たちの叫びを見つめた。
見つめ続けても、求められないものもある。
が、諦めずに最後まで追い求めよう。
2010年1月18日、カエルの歌の響く場所から白浜方面を眺める。

心を奪われる自然現象の一つが、薄明光線だ。
雲の切れ間から地上に降り注ぐ光は、
天へと通ずる梯子として見なされても、なんら不思議はない。
確かにこの様を見つめていたら、
天使が上り下りしているのが、見られるのではないか。
そんな事を思わせる、ランドスケープだ。
雲が無ければ、この現象は起こりえない。
美しき空色から外せないのがやはり、雲だ。
美しき自然現象。
神が何かはよく分からないが、神々しい。
2009年12月29日、美田良浜上空。

この日の早朝は、空だけではなく、全てのものが赤く染まった。
夜遅くから、激しく降り注ぐ雨。
雷鳴と共に瞬く雷光。
朝方には雨も雲に留まり、光が霧を染め上げる。
いつか見つめた、紅型の色彩を思い起こす。
雷光を求めさまよい、この空色に出会うことが出来た。
あ~、眠い。
2009年9月27日、展望台から眺める早朝の浦内川河口。

美しき空色を構成する要素の一つとして外せないのが、雲だ。
幾重にも重なり合うその姿は、
世界最大の淡水魚の一つに数えられる、ピラルクーの鱗を思わせる。
恵みの雨をもたらすだけではない。
強き日差しから守ってくれるだけではない。
美しきランドスケープを与えてくれる。
天候は荒れたほうが美しい。
そういうものだ。
2009年8月23日、まるまビーチから眺めた空色。

アトゥク島と星を見つめにいき、この奇跡のランドスケープに出会った。
我が心を奪う、美しきランドスケープたち。
寝不足になるのも、致し方なし。
なんと言う空色であろうか、真夏の夜の共演だ。
何とも贅沢な組み合わせ、雷光と天の川。
2009年8月16日、美田良から望む外離島上空。

その昔、17世紀のカリブ海をまたにかけた
海賊キッドが財宝を隠したとされるアトゥク島。
キャプテン・キッドもこんな空色を見つめたんだろうか。
2009年7月22日、皆既日食に沸いた日の浦内川河口、アトゥク島の夕景。

可視光線には、長波長、中波長、短波長、
さまざまな波長の光がいろいろな割合で合成されている。
人間の錐体細胞は、それぞれある特定の波長の範囲に
最大限反応するようになっているそうだ。
これら三種類の波長を錐体細胞からの刺激を大脳が組み合わせ、光の色が認識される。
例えば、波長577ナノメートルから597ナノメートルが、
目に入り網膜を刺激したとする。
長波長に反応する錐体細胞と、中波長に反応する錐体細胞が興奮する。
だが、短波長に反応する錐体細胞はほとんど興奮しないらしい。
三種類の錐体細胞の反応の差を大脳が分析し、この美しき橙色と認識するそうな。
なんのこっちゃ、よ~分からんが、
こんな難しいことを思いながら、空色を見つめたことは無い。
なんとも複雑なことを、
いとも簡単にやってのけてしまう人間の脳って素晴らしい。
2009年4月4日、白浜港上空の夕景。